<オポジション>あるいはオーソドックス・オポジション

P7

 図8と図9が異なるのは、なぜだろうか?

 概括的に言うと、図9の黒キングは、“白キングにAB線上でのディスタント・オポジションを許すことなく、AB線上を動くことができる”からである。そして、“この場合、正面からの攻撃(最も危険である)の可能性はない”し、側面からの攻撃(第3手、4手)も脅威にはなり得ない。

 J. Drtina と Fr. Dedrle の用語にならって、本書では守らなければならないマス目のことを“クリティカル・スクエア”(+でマークしたマス目)と呼び、また、そうしたマス目のグループの中央に引ける線を“プリンシパル・ライン”(AB)と呼ぶことにする。

 グループが3つ以上のマス目から構成されている場合、複数のプリンシパル・ライン(訳注:主要な線)が存在する。4つのマス目なら2本、5つなら3本といった具合だが、つまりプリンシパル・ゾーン(訳注・主要な面)が存することになる。

 ここまで、我々はクリティカル・スクエアへの純粋に一般的な攻撃におけるオポジションのメカニズムを研究してきたが、以降は線上に並ぶ3つのクリティカル・スクエアを作り出してしまうポーンの、異なったフォーメーションについて検証していこう。これらの典型的なフォーメーションの集合は、ポーン・エンディングにおけるオポジションの応用編を示すことになろう。

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<いとう註:すでに「55ノート」をお読みの方はお気づきの通り、「クリティカル・スクエア」(スクエアをこれまで「マス目」と訳してきたが、ここではデュシャンらの用語をそのまま使う。僕の拙劣な翻訳でのちの誰かの新しい研究の可能性をせばめるわけにはいかない)はデュシャンの遺作において、のぞき穴ともうひとつの壁の向こう側の世界である。事実、床には市松模様のリノリウムが敷いてあったのだから。
 そして、のぞく側が絶対に破ることの出来ないスペイン・カダケス産の壁(のぞき穴が付いた第一の壁)を、「プリンシパル・ライン」と考えることが出来る。
 この本の検証も終えずに「デュシャンの作品とチェスにはなんの関係もない」という者は愚かである。デュシャンの謎は暗示的でなければならないと彼らは考えており、顕在的な事柄を非論理的に無視している。つまり一方的な神格化であり、彼らにアンフラマンスなど理解出来ようはずもない。「隠された深さ」「特権的理解」のベールを彼らはデュシャンの前に引いてしまう。僕はこうした非ユーモア的でもある怠け者をデュシャン解釈界から排除するためにも、翻訳を続けたい。彼ら自称デュシャン研究者の資料的な“酷薄”は、翻訳の最後に特に明らかになるだろう。その数ページはなんとあの「大ガラス」を想起させてやまず、こちらをにやりとさせ続けるからである。それはいかにもデュシャン的なのだ。
 ではもう一度、あってしかるべき愉快な仮説を提示しておこう。
 プリンシパル・ライン(AB線)=遺作の第一の壁(作り手と鑑賞者の中央に位置することになる)。
 クリティカル・スクエア=遺作の中の世界>

<いとう註:図9の「第3手、4手」、つまり「側面からの攻撃」とは、白Kf7と白Ke7を指す。前項のデュシャンらの解説通り、白キングはe列上でのダイレクトオポジションを狙うべく近づき、実際そのオポジションを取ったのだが、黒Kd5とかわされた。黒キングはひたすら「クリティカル・スクエア」を支配し続けたのである。
 さて、ここから先、今度はポーンの位置、動きが検討される。
 そして、キングとポーンが盤面に現れ、オポジションの全体像が見えてくることになる>